5.

砂嵐だった画面が、瞬いて像を結んだ。

小さなモニターに映し出された映像は、隅にある日付と時間を見れば確かに二十日前だが、やけに古びてみえた。時折ノイズが入る画面の中央奥に、黒い染みのような影がある。撮影角度を修正する為に幾度かぶれた後、カメラが寄り始め、映し出された影が次第に大きくなった。

「・・・イルカ先生」

不鮮明な画像でも想い人を瞬時に見分けたカカシが呟いた。

イルカは、石造りの壁の前に立っていた。床も同じような石組みで、影が足元で拡散している。恐らく室内闘技場だ。

画面の中で次第に大きくなるイルカに、カカシは僅かに顔を歪めた。イルカは、最低限の衣服しか身に付けていなかった。露わな上半身には黒々と術式が描かれているが、粗い画像では内容までは読み取れない。眉間やこめかみ、鳩尾等、チャクラ溜まりとなる部位に、電極らしき小さな装置が取り付けられて、幾本ものコードが身体の両側から床を伝って延びていた。

足元には、包帯が投げ捨てられている。俯いたイルカの表情は長い髪の影になってカカシには見えなかった。

不意に、何かが炸裂するような音が聞こえた。同時にカメラが大きく揺れて、闘技場を俯瞰で捉えるまでに下がった。

画面の左端に、別の人影が映り込んできた。まるで突き飛ばされたようによろめきながら現れた男は、すぐに体勢を立て直すと、20メートル程離れた場所に立つイルカに向き直った。

壮年の男だ。白髪交じりのその横顔にカカシは見覚えがあった。木の葉崩しの混乱の中他里と通じ、木の葉忍の情報を流そうとした反逆罪で、無限牢につながれていたはずだった。

男から、燃え立つような殺気が立ち上った。胸の前で印が結ばれると、その両腕がまさしく炎に包まれる。火遁だ。

男は燃え上がる両手を構えると、イルカに向かって走り出した。

「・・・先生?」

カカシは思わずモニターを掴んだ。見ていない。イルカは俯いたまま、迫りくる相手の足運びすら見ずに立ち尽くしていた。武器らしいものを持っている様子も無い。映像が録画である事を頭では理解していながら、カカシは息を詰めた。激しい闘志を露わに、男はイルカに肉迫し、まさに襲いかかろうと、燃える腕を大きく振り上げた。

その瞬間、イルカが伏せていた顔を上げた。

同時に、まるで操り人形の糸が切れたかのように、男は床に崩れ落ちた。

倒れ込んだまま、男はピクリとも動かなくなった。その腕で燃え盛っていた炎は見る間に消えうせた。

立ち尽くすイルカと、倒れた男。画面は再び静けさに包まれた。

何が起こったのか。茫然とするカカシの前で、モニターの中のイルカが、ふと視線を巡らせた。偶然か否か、その黒い瞳が己を映すカメラを真っ直ぐに捉えた。

愛しい眼差しに、カカシの胸が掻き毟られた。いつもカカシに優しい微笑みを向けてくれたその瞳は、慄くほどの深い悲しみと、果てしない絶望に染まっていた。

画像が、断ち切るように消えた。しん、と光の消えたモニターを、カカシは食い入るように見つめ続けた。

「・・・お前が今回の任務に行ってすぐだ」

カカシの背後で、綱手が話し始めた。

「やたら眼が眩しいと、イルカは木の葉病院で診察を受けた。一般的な検査では異常は無かったが、更に詳しく調べようと、医療忍がチャクラを使いながら、イルカの眼を覗き込んだ。・・・その途端、医療忍は昏倒した」

映像の中でゼンマイが切れたように倒れ込んだ男の姿が、カカシの脳裏をよぎった。

「検査室にはイルカとその医療忍二人だけだったから、イルカは助けを求めて、急いで廊下に出たらしい。イルカが向かう先、医療忍や忍が次々に倒れて病院はパニックだ。警備忍も迂闊に近寄れない状況で、結局鎮静ガスでイルカを眠らせて拘束するしかなかった」

綱手は眉間を揉んだ。

「誰も、何が起こったのか分からなかった。倒れた忍達を調べて、チャクラ量が激減している事に気付いたのはサクラだ。お前がチャクラ切れを起こした状態と同じだよ」

「それは・・・」

「現象と検査結果と重ね合わせて、一つの結論を得た。あくまで推論だが」

瞳だ。綱手は言った。

「今のイルカは、その眼で見た相手のチャクラを失わせる力を持っている」

二人の間に、長い沈黙が落ちた。綱手の、そしてイルカの言動がようやく腑に落ち、それでもカカシの心は軽くなるどころか更に黒く澱んだ。

相手のチャクラを失わせる。それがどれ程重く深刻な意味を持つか。

「・・・原因は?」

ようやく口を開いたカカシに、

「分からん」

綱手は短く答えた。

「イルカの血族にそういった血継限界は無い。遺伝子的な特異点も見られない。私達の知らぬ何らかの術かもしれんが、それを確かめる方法が無い」

忍はイルカの瞳を見れないんだ、と綱手は溜め息混じりに続けた。

「チャクラを持たない常人が見れば、イルカの眼は只の眼なんだよ。だから、イルカの眼がどんな仕組みで相手のチャクラを失わせているのか、皆目分からない。ただ、イルカの眼球に強いチャクラ反応があるのは確かだ。失われたチャクラが蓄積されていると考えられる」

それから綱手は、言い訳をさせてくれ、と大きく息をついた。

「イルカが木の葉病院で発症した時、私は丁度くだらないが外せない外遊で里を離れていてね。戻ってこの状況を知った時には既に検査と称した実験が行われた後だった」

綱手の眼が、カカシの前にあるモニターを苦々し気に見つめた。罪の軽減を餌にして咎人にイルカを襲わせ、チャクラ喪失の原理を探る。人体実験だ。

「・・・今、イルカの側に付いている男は根だよ。元だが」

綱手の言葉に、部屋の隅に控えていたテンゾウが僅かに身じろぎした。

木の葉の指揮系統は火影を頂点としたピラミッドだと思われているが、実際は違う。ご意見番を中心とした上層部は、火影の政治的補佐を名目に、一定の権力を維持している。根と呼ばれる組織が、一部の忍達に絶対的な影響力を及ぼしているのも周知の事実だ。

無論イルカは医療忍のトップでもある綱手の管理下にある。だが目に見えぬ政治的力学が絡み合って、イルカはとても複雑な立場にあるのだと、綱手は言った。

相手のチャクラを、見るだけで奪い去る。忍に対してこれ以上の対抗があるだろうか。その力を己の支配下に置けば、木の葉の里の中での発言権はいや増すだろう。

「あいつらは、イルカに、他の活用方法が無いかとまで考えている」

「他の?」

「電池だ。奪い取ったチャクラを眼球に蓄積しているのなら、放出もできないかと、な」

里の為、里の忍の為。すぐにチャクラ切れを起こす忍がここにもいる。やり場のない苛立ちがカカシの唇を歪めた。

「今のイルカとお前を一緒にする訳にはいかない。感情が邪魔するなら物理的に引き離すしかない。・・・お前には別の人間を用意する。女と婚姻するのが望ましいが、男がいいなら要望は聞く」

もう、腹も立たない。カカシは無意識に左目に手をやった。

ここに埋まっている友の瞳が、カカシを現在のカカシたらしめている。ならば互いの目を抉れば、すべてから自由になれるだろうか。

「許さないよ」

綱手が見透かすように言った。

「イルカも同じだ。その選択は、決して許さない。お前が里のものであるように、イルカも里のものだ」

お前を失う訳にはいかない。綱手はひたりとカカシを見据えた。

「写輪眼を、ではないですか?」

「写輪眼のカカシを、だ。イルカは、自分の思いより里の忍である事を優先した。だからお前と別れる事を了承したんだ」

「里の為だと言えば、あの人が、逆らえる訳が無いでしょう」

不思議な程に、カカシの中に迷いは無かった。

カカシの前に道は二つだ。イルカを失うか、再び取り戻すか。それ以外の選択は無い。

木の葉隠れ里の上忍としての立場、忍としての矜持、友との約束。ずっとカカシの中に根付いていたその責任は、今も重みは変わらない。

それでもカカシは一つの道を選ぶ。二人の間を隔てようとする者は、例えイルカ自身であっても許さない。

「待て」

無言で背を向けたカカシを、綱手が呼び止めた。

「何を考えている?」

「・・・オレは、知ってしまったんです。もう、知らなかった頃には戻れない」

イルカを、イルカを想う事を、イルカと共にある喜びを、知らなかった頃には戻れない。

「・・・そうか」

綱手の声は、どこか晴れやかに聞こえた。

「見つけたんだな、お前は」

何を、と振り返ったカカシは、

「一つだけ、方法がある」

そう静かに告げて、悲痛な眼差しで己を見つめる綱手を見返した。

 

 

 

**********

 

 

 

国境沿いの林の中をカカシは走っていた。

後に続くのはテンゾウだ。木の葉の里から忍の足で休み無く走って三日。太陽は山際に落ちかけて、残照が景色を茜色に染めていた。街道を遠く離れ、走る二人の忍以外、人の気配は無い。

林は切り立った崖に突き当たって途切れた。眼下に広がる深い森を見て、カカシは思わず眉を寄せた。

「気持ち悪いですね」

隣に立ったテンゾウが言った。

そこは、磁場が狂う森として知られていた。周囲の植物相とは全く違う、奇怪な形の木々が鬱蒼と生い茂っている。よく見れば、全ての木は森の中心に向かってねじくれるように伸びていた。ふと、夜空の彼方にあるというすべてを飲み込む黒い穴を思い出した。

「本当に住んでるんでしょうか?ここに」

「五代目の話が事実なら、この森の中心に住居を構えているらしい」

僕はここではちょっと眠れないな、とテンゾウが呟いた。首の後ろから頭頂部にかけてやけにちりちりする。形容しがたい異質な気配が、黒い森全体から立ち上っているようだった。

「先輩」

テンゾウが、カカシに顔を向けた。

「イルカさん、何て言ってたんですか?」

「怖いって」

この森に向かう前、カカシとイルカは会った。無論、鋼鉄の扉越しの逢瀬だが、結界の中二人きりだった。

森の奥に住むある男が、もしかしたらイルカの能力の原因を突き止められるかもしれない事、そして、もし万策が尽きたなら、カカシは写輪眼も自身の右目も里に差し出すと、そうすればずっと一緒にいられると、カカシはイルカに告げた。

最初、イルカは怒った。カカシから写輪眼を失わせるなんて、誰が許しても俺が許せないと叫んだ。

そして、カカシの決意が変わらない事を知って、泣いた。

嬉しいのだと。忍である心を突き破り、カカシの揺るぎない想いに喜びを感じてしまう自分が怖いのだと、泣いた。

「あの人が、オレに全部を与えてくれた。だからオレは、イルカ先生がいなきゃ駄目なんだ」

共にいる為なら、どんな事も躊躇しない。

「・・・先輩は、幸せですね」

テンゾウが口の中で呟いた。黒眼がちなその瞳は、忍だからという以上に感情が読めない。

カカシはちらりと後輩を見遣った後、

「行くよ」

短く告げて崖を飛んだ。

 

 

 

進む

戻る

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送